Q.まず、杉山さんのこれまでのご経歴について教えてください。
当時の静岡県立中央病院(現在の静岡県立総合病院の前身)に看護師として就職しました。これが私のキャリアのスタートです。配属されたのは整形外科・泌尿器科・眼科・耳鼻咽喉科・口腔外科からなる混合外科病棟で、ここでの3年間の経験が後の工場での労働災害発生時のファーストエイドに非常に役立ちました。
病院勤務が3年経過するとどこかへ学びに行きたくなり、県立厚生保育専門学校保健助産学科に進学しました。保健師と助産師の資格を得ましたが、特に保健師としての職能に魅力を感じ、自分を活かせる場が病院から公衆衛生行政の場へ、産業の場へと一挙に広まったように感じられました。つまり、働く場所の選択肢が増えました。
卒業から化学工場への再就職までの経緯や、定年後のキャリア形成について模索したことは、前述の通りですが、工場への再就職も、定年後2社の健康管理室立ち上げも、静岡産業保健総合支援センターでの仕事、いずれも上司や産業保健関係者の方々からのお声掛けによるもので、“道が自然に拓けた”感じで、大変ラッキーであったと思います。
Q.化学工場に勤務した12年間でどのようなことを経験されたのでしょうか。
その化学工場は従業員800名ほどの規模でしたが、産業医は月に1日来社されるのみで、まさに「産業看護職1人きり職場」でした。産業保健で大事なことは、労働と健康の調和! 産業看護は働く人を病気にさせない目に見えないケアです。私が重視したのは職場巡視です。現場を廻れば物理的環境だけでなく、人と人との関係も実によく見えてくるからです。就職して程なく、日本産業衛生学会に入会。地方会誌に抱負を書くよう言われ、「私は、ヘルメットと安全靴が似合う保健師になりたい!」と書きました。モノづくりの現場は専門家集団の集まりです。私は工場にいっぱい“先生”を見つけました。統計は品質管理のスペシャリストに、化学式は研究職の方に、生産工程は各職場の職長さんの後をくっついて教えていただきました。有機溶剤を扱う部員にはマストの資格である危険物乙四取扱者免許も取得。産業保健、殊に化学工場勤務は実に面白いと思いました。
働く場所を理解すれば、より具体的な保健指導ができます。例えば、健診で肝機能の数値が悪かった人・・・夏場の毎日8時間、気温も湿度も高い現場で働く人の楽しみは何かというと、仕事を終えてのノド越しに味わうよく冷えたビールや焼酎です。「肝臓が悪いからお酒はダメですよ!」なんて禁句です。受け入れてもらえません。「○○さんの肝臓はナイーブなので、飲み方を工夫しましょうか・・・」って話を切り出します。そうした保健指導の積み重ねと健診事務で、従業員800名分の顔と名前、健診データが自然と頭に入ってしまいました。
特筆すべき事項として・・・その工場では、私が来た時すでに、従業員を大事にするポリシーが形成されておりました。
労働災害でも自分の病気であっても、会社を休むことに変わりはない。よって、会社は、その回復を全面的に支援する!というもの。うつ病に関しても、『仕事がらみでなったうつ病は、会社ぐるみで治す!』という企業風土が醸成されておりました。
うつ病は、「薬」と「休む」だけでは治りません。「本人納得の仕事が病気を治す!」のです。休業者を支える仕組み作りが大切です。本人及び家族・上司・保健師が一同で主治医の話を聴き、治療方針を共有する体制は、他にあまり例をみないものでした。
この工場への就職、理解ある上司・・・私にとってはまさに劇的な出会いであり、現在の仕事の原点となっています。
Q.その化学工場は定年まで続けられたと伺いました。
そして、4年前から、独立行政法人労働者健康安全機構 静岡産業保健総合支援センターのメンタルヘルス対策促進員として、県内中小事業所を対象とする個別訪問支援事業にも従事することになりました。こちらの活動は現在も引続いており、この春からは講師も務めさせていただいております。 自分が何をやりたいのかがじわりじわりと見えてきました。
Q.「起業しよう」と思ったきっかけはどのようなことだったのでしょうか?
私が起業を考えるようになったのは、「公的支援制度の狭間を埋めたい」という気持ちが高まっていったからです。
財源が労災保険の公的支援では、中小企業を支援するサービスがどうしても限定されてしまいがちです。例えば支援回数は1社につき1~3回、支援内容も限定されていて事業所の特性に合った支援が思うようにできないのです。また、前年の実績で翌年もオファーをいただいても応じられないことが少なくありません。
こうした《公的支援の狭間》を埋めていきたい、もっとお客様のニーズに合わせた支援がしたい!その思いが起業へと私を導いてくれました。
Q.起業に向けて、どんな準備をされましたか?
50代後半に、定年後の自分についてよく考えました。その結果行き着いたのが「小さな事業所の産業保健を向上させる仕事がしたい!」という思いでした。
そこで、開業権が認められている『労働衛生コンサルタント』の資格試験に挑戦することにしたのです。学科試験と口述試験があり、学科試験に合格しても口述試験に落ちれば、来年また学科試験からやり直しの合格率30%弱の試験です。
試験を受けると決めて半年間、毎朝4時起きで勉強しました。早朝ならば勉強時間を確保できるからです。その結果、一発合格することができました。(注:労働衛生コンサルタントは、現在静岡県で54名。うち保健師で所持しているのは3名のみ)
3年前には、「従業員の休業・休職、時に解雇・退職にも関わる仕事を独立してやっていくならば法務の知識が必須」と考え、『メンタルヘルス法務主任者』の資格も取得しました。
精神科・心療内科の先生とネットワークを築くことも心掛けてきました。うつ病にかかった社員の方に同行し、県内外の精神科・心療内科を訪ねていくうちに、素晴らしい先生方との出会いが数多くありました。
それから、私は日本産業衛生学会(正会員数:7639名)や日本労働安全衛生コンサルタント会、産業保健法学研究会に所属しているのですが、そこでの学びや交流も大切にしています。日本産業衛生学会や全国労働安全衛生大会で健康作りの取組みや健診データの経年変化の分析等について発表もしました。
Q.開業に向けた準備をする中で、どのようなことが大変でしたか?
Q.では、起業して良かったことはどのようなことですか?
誰かに使われることなく、自分のやりたい仕事が自分の納得のいく形でできることです。例えば、保健師である私のストレスチェック実施者代行サービスでは、健康診断結果データを拝借し分析して、事業所の健康度の≪見える化≫及び健診有所見者への保健指導も組み入れています。先日、第一号の仕事が完了しましたが、来年もよろしく、と嬉しいお言葉を頂戴しました。
私の事業は、経費があまり掛からないので、その分自己研鑽に使うことができます。
ですが何より有り難いのは、出会った多くの方の「優しさ」です。病院看護師の時代から起業に至るまで、人の優しさを身に染みて感じてきました。何か分からないことがあった時、少し行き詰った時など、本当に多くの方々にサポートしていただきここまで来ることができたと思っています。
Q.今後はどのような事業展開をお考えでしょうか?
当面、健康診断結果をビジュアル化しての保健指導・ストレスチェック実施者代行サービス・心の健康作り計画や復職支援プログラム策定支援・休職者フォローアップ・各種セミナーや研修会講師などのスポット契約で信用を得て、事業所様を定期的に訪問させていただき、「うつからの職場復帰を応援するプログラム」を構築します。
さらなる事業目標のキーワードは、≪健康経営推進!健康経営優良法人認定へのバックアップ!≫です。健康経営認定基準項目の制度施策に関するものの殆どにおいて、当事務所は企画提案が可能です。実績例として、平成20年度に「全国産業安全衛生大会in札幌」で発表し評価を得た「特定保健指導の試みとその評価」をご提示します。
Q.エフドアについてお伺いします。どのようにエフドアを利用しましたか?
初めてエフドアのドアをたたいたのは昨年の9月初めのこと。おそるおそる(笑)知人に連れられて行きました。
私は昨年度の「ウーマン起業カレッジ」に参加させていただいたのですが、カレッジの中で自分の事業プランを発表する必要がありました。そのため、私が考えているプランが商品として価値があるかどうか、それについてご意見を伺いたかったのです。またプレゼン原稿の校閲もしていただきたかった、ということもありました。
その際村松さんに言われたのは、「専門用語に逃げないこと」「誰にでも分かり易く伝える工夫をすること」でした。【第4回志太ビジネスプラングランプリ】に出場すると決めた時にも、私の事業プランに村松さんが熱き赤ペンを入れてくださって(笑)。その励ましが嬉しかったですね。
志太ビジネスプラングランプリでは大賞をいただくことができたのですが、受賞後も名刺作りや契約書作成時などにサポートをいただきました。村松さん、スタッフの皆さんの絶妙なコンビネーションと、さりげないのに丁寧なご対応、とても有り難かったです。
Q.最後に、これからエフドアを利用される方々へ一言お願いします。
こんなプランで通用するのか?マーケティングの方法が間違っていないのか?ブランディングって?など、いろいろと悩むことだらけの毎日でしたが、皆さんはいかがでしょう?
そんな時エフドアに相談すれば、前に進む勇気がきっと湧いてきますよ!
~インタビューを終えて~
今回の取材に伴い、改めて杉山さんのこれまでの経歴を詳しくお伺いました。
看護師からスタートなさって現在に至るまで、素晴らしいキャリアを築いてこられたことはもちろん、「人のために」という熱い志を一貫して持ってこられたことに尊敬の念を覚えました。常に努力を惜しまず、できることを高め続けてきた杉山さん。その原動力はサポートしてくれるご家族と、「働くことが好き」という純粋なお気持ちなのだと笑顔でお答えくださいました。
大企業だけでなく、メンタルヘルスにまで手が回りにくい中小企業の役に立ちたい。そこでうつ病などの心の病気に苦しむ社員のみならず、その人を雇用する会社にも寄り添いたいと奮闘なさってきた杉山さんは、まさにその道のパイオニアなのだと思いました。
今後の益々のご活躍を、エフドア一同心より応援させていただきます!今回はお忙しい中お時間をくださり、本当にありがとうございました。
杉山さんは、県立病院看護師、県保健所保健師、次いで、県立看護専門学校教員生活を経て、第二子出産を機に仕事を一旦リタイアしました。4年間の専業主婦生活の後、大手通信機器メーカーの健康コンサルタント業務や、在宅保健師として保健所や島田市役所健康課(当時)で、健康相談・乳幼児健診・訪問看護など、こども達の成長に合せて仕事の幅を拡大していきました。末のお子様が高校へ入学されるタイミングで、従業員約800名の化学工場へ産業保健師として再就職します。この企業での12年間がその後の杉山さんのシニアとしてのキャリア形成に大きな影響を及ぼすことになりました。
定年を前にその後のキャリアを考え、『労働衛生コンサルタント』の資格を取得され、退職後は2つの企業の健康管理室の立ち上げ、その後、独立行政法人労働者健康安全機構 静岡産業保健総合支援センターのメンタルヘルス対策促進員としての業務に携わり、満を辞して今年1月1日【杉山労働衛生コンサルタント事務所】をスタートされました。
開業して半年を迎えられた杉山さんに、これまで携わってこられたお仕事のことや起業を決意したきっかけ、また事業にかける想いなどについてお話を伺いました。